母の米

A-1

1)-1
私は種子島生まれである。
約半年振りに帰郷した いや夏になると特に あのギラギラした
太陽とエメラルドグリーンの海が 本当に恋しくなるのである。
島を出てから40数年も経ってなおである。

ところが最近帰省する度毎に 公私ともに 生活様式の急激
な変化に驚かされる。ここ4,5年の変化のスピードは
私の住む千葉県よりも上回っているだろう。

今回の帰省も私の面で どうしても現実としてある 避けて
通れない命題。年老いた親と故郷を 考えさせられる
帰省でもあった。          ≪  続 く   ≫

1)-2
晴れたのは10日と11日だけ 後は曇りか雨 母によると
今年は異常気象でほんとに雨続きだったとか 島では例年
7月20日頃には米を収穫する 台風が来る前に実る
早場米種だからである。

ところが今年は 8月に入っても 収穫出来ない人が 
多かったと言うのである 実際私が帰郷した時もまだの人が
いた。もちろん 米は実って刈り取ってはいるのだが 乾燥が
出来ないのである。

米は 機械であろうがカマであろうが  刈り取った後 
乾燥してから 収納しなければならない。 その最後の
工程の乾燥が 雨続きで出来なかったと言うのである。
さすがの母も今年は 知人の乾燥室を利用せざるを
えなかったとか。             ≪  続 く   ≫

1)-3         
苗を買う 猪苗代を開けてもらう 最近聞いて驚くのである。
昔は 種籾の消毒から始まって 文字通り 全て 自分の家で
行ったものだ。今はただ 自分の 田んぼと言うだけである。
全て人任せ、機械任せである。

母の米は 相当コストの掛かった高い(価値の高い)米に
なっているのだ。たとえ高くついている米であっても 自分の
米でないと 子供が 帰郷した時、親戚が来たとき 持たせて
あげる米がないからと 母は言う。

母にとっては 文字通りの ライフラインでありアイデンテイテイー
の米であるのである。            ≪  続 く  ≫

1)-4
だから 子供たちが いくら 口を 酸っぱくして 田んぼなんか 
全部捨てておけ 米は買った方が安いよ、第一老人には
体に悪い、危険だ、田んぼなんか 出来ないでしょう、
人に迷惑をかけるな少しは人の言うことを聞いてくれ、 

米なんかいくらでも持って行くから、等々 なだめすかし
雑言罵倒しても、全く効き目はないのである。村で長系統の
家に嫁いで来て 体を張って親父を支えてきた母にとっては
たとえ親父がいなくなったとしてもそれなりのプライドが
許さないのであろう。

証拠には未だに親父が生きていた頃にくらべたら1/3にも
満たないだろうが村人との付き合いを続けようとするのである。
最後には 老人ホームに 入っているよりはましか、ケガするなよ
であきらめに変わってしまうのである
 ≪  終り  ≫

コラム
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